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アメリカで生まれた4つ子姉妹「ジェネイン4姉妹」は、22~23歳にかけて全員が統合失調症を発症した。研究者ローゼンタールは、彼女たちの事例を通じて発症原因が遺伝か環境かを探り、学者たちの意見や研究結果からその答えを導こうとした。
※本稿は、ロバート・コルカー(著)、柴田裕之(翻訳)『統合失調症の一族:遺伝か、環境か』(早川書房)の一部を抜粋・編集したものです。
統合失調症は「生まれ」か「育ち」か学術サミットで出された結論とは?
1967年6月下旬の灼熱の太陽の下、熱帯のホテルでデイヴィッド・ローゼンタール─ジェネインの4つ子を調べ、遺伝と環境がいっしょに働いているに違いないと結論した、国立精神保健研究所の研究者──は、生まれと育ちと統合失調症をめぐって続いている議論についての学術サミットに、精神医学の卓越した思想家たちとともに参加した。
この種の会合は、それまで一度も開かれたことはなかったが、今や必要に思えた。
1960年代には、ソラジン(編集部注/1950年代半ばに誕生した最初の精神病治療薬)革命のせいでこの議論の帰結がなおさら重大になった。遺伝的特質、すなわち生まれを重視する人にとって、どれほど控え目に言っても、抗精神病薬の影響力は統合失調症が生物学的プロセスであることを立証し
だが、育ちの側を持つセラピストたちにとっては、ソラジンの類は症状を抑え込んでいるにすぎず、いわば見せかけの精神安定剤であり、この疾患を引き起こしたに違いない無意識の衝動を探ることに代わるものはありえなかった。
というわけで、この会合はこの難局を打破するための慎重な試みだった。
国立精神保健研究所の統合失調症の主任研究者であるローゼンタールは、この催しの主催者の1人だったが、サイコセラピー陣営も、イェール大学の精神医学者で家族の動的な関係性研究の先駆者セオドア・リッツを筆頭に、有力な代表者を送り込んでいた。
今やローゼンタールはこのドラドビーチで、最初の研究結果を発表する準備ができていた。そしてその研究結果が、育ちではなく生まれがこの論争に勝つという証拠となるように、彼には思えた。
ローゼンタールと国立精神保健研究所の研究部長のシーモア・ケティは、自分たちの調査のサンプルをデンマークで見つけた。デンマークは、素晴らしい医療記録管理と、そうした記録を科学研究に進んで提供する意欲のおかげで、多くの遺伝学研究者に崇められるようになった国だ。
2人は、養子になって、それから統合失調症を発症した人々の記録を調べることができた。続いて、彼らを養子にした家族の健康記録を徹底的に調べ、相関を探した。精神疾患のある養子の多くが、精神疾患が多発している家族に、たまたま引き取られている可能性を排除するためだ。
最後に2人は、養子たちを対照群(生まれた家庭で育った統合失調症患者)と比較した。
最終目標は、生まれと育ちのどちらの筋書きが、より多くの統合失調症の発生につながるかを確かめることだった。
結果は大差だった。記録された症例が、ほとんど1つ残らず、統合失調症の病歴のある人々との近接ではなく、生物学的特性と結びついていた、とローゼンタールはドラドビーチで断言した。
発症のカギは“遺伝的素因”?養子研究の結論は
どこで育ったかや、誰に育てられたかは、まったく関係がないように見えた。全体として、統合失調症の病歴がある家族は、そうでない家族の4倍も、この疾患を未来の世代へ伝える可能性が高かった。依然として、親から子へと直接この疾患が伝わることはめったになかったにしても、だ。
この結論は、統合失調症が家系を不規則に伝わって行くことと、大いに辻褄が合った。そして、これだけでも驚くべきことだっただろう。
だが、ローゼンタールとケティが養子の事例を分析すると、遺伝と対立する「育ち」の見方──統合失調症は精神疾患のある親から、養家の遺伝的背景を共有していない養子へと伝播されうるという見方──を支持する証拠はまったく見つからなかった。
統合失調症は、この疾患を発症しやすい遺伝的素因を持っていない人には、けっして押しつけることもうつすこともできない、とローゼンタールは結論した。
ローゼンタールは、これでとうとう論争に決着をつけ、そのうえ、劣悪な子育てが統合失調症を引き起こすという考え方には信憑性がないことを示せたと思った。
発症するかは“閾値”で決まる…「ストレス脆弱性仮説」の衝撃
彼は会合で、同意見の人を少なくとも1人見つけた。アーヴィング・ゴッテスマンという名の遺伝学者で、共同執筆者のジェイムズ・シールズと共に、ローゼンタールのものと非常によく似た結論に達する研究を発表していた。
彼らが完成させた「統合失調症の多遺伝子理論」という論文は、統合失調症はただ1つの遺伝子ではなく多くの遺伝子の一群が、さまざまな環境要因といっしょに働くことによって、あるいは、ひょっとしたらそうした環境要因に活性化されることによって引き起こされうると主張した。
彼らの証拠も双子にまつわるものだったが、一捻りしてあった。疾患を、優性遺伝子1つあるいは劣性遺伝子2つの仕業と考える代わりに、彼らは遺伝病には「易罹患性閾値」があるという見解を示した。
それを過ぎると、発症する人が出る理論上の境目だ。共同して人をこの閾値に近づける原因は、遺伝的なものかもしれないし、環境かもしれない。家族にその病歴があったり、トラウマに満ちた子供時代を送ったりしたことかもしれない。
だが、そうした要因が最低必要量に達しないと、人は統合失調症の遺伝的遺産を抱えつつも、症状が現れないまま、一生を送ることがありうる、というのだ。
ゴッテスマンとシールズの説は、「ストレス脆弱性仮説」として知られるようになった。
生まれが育ちによって活性化されるという考え方だ。何十年も後、彼らの研究には並外れた先見性があったと見られるようになる。
フロイトとユングにまで遡る大論争の、真の終わりの始まりだったのだ。
執拗な「母親のせい」理論根拠なき非難が再び語られる
見方によれば、ストレス脆弱性仮説は「生まれ」陣営と「育ち」陣営の間の妥協と解釈することさえできるかもしれなかった。もしこの説が成り立つのなら、ソラジンなどの抗精神病薬は、どのように機能するかにかかわらず、統合失調症の持続的治療の一部でしかありえなかった。
ところが、ドラドビーチではこの考え方は、お決まりの抵抗に出合った。国立精神保健研究所に所属するローゼンタール自身の同僚の1人までもが異を唱え、混乱状態や窮乏状態で子供時代を送ることが一因となりうる、と主張した。
大きい都市ほど、社会階級が統合失調症と強い関係を持っていることを、さまざまな新しい調査が示していた。
だが、その同僚も、因果関係にまつわる疑問があることは認めた。貧困が統合失調症を引き起こすのか、それとも、先天的な精神疾患のある家族が貧困に陥るのか?
「統合失調症誘発性の母親」も復活した。ヘルシンキ大学の講演者は割り当てられた時間を使って、「苦々しい思いを抱き、攻撃的で自然な温かみの欠けた」「不安で、不安定で、妄想的な特徴を持っていることの多い」母親を攻め立てた。
とはいえ、そのヘルシンキ大学のセラピストは、もし母親が悪いのなら、なぜ同じ母親を持っているのに、統合失調症になる子供もいれば、ならない子供もいるのかは、説明できなかった。彼は、母親の育て方が悪いことが原因に違いないと信じているだけだった。
遺伝派vs環境派は「敵対する陣営」
次に、セオドア・リッツが家族の動的な関係性に基づく自説を展開した。子供は「最初の数年間に非常に杜撰な養育を受けていると認識したり、はなはだしいトラウマを負わされたり」すれば、適切に発育しそこないうる、と彼は断言した。
このイェール大学の精神医学者は、自分の立場を支持するデータはまったく示さず、統合失調症を発症した家族との自分の経験を挙げるだけだった。
こんな調子で1週間が過ぎ、会合の最終日の7月1日、主催者のローゼンタールが総括することになった。
彼は当たり障りのない冗談から始めた。遺伝か環境かという統合失調症にまつわる論争は、「ドレスシャツ姿でのフランス人の決闘」を連想させる、と彼は言った。決闘者たちは「互いに相手を徹底的に避けたので、風邪をうつされる危険にさえ自らをさらしませんでした」。
ローゼンタールは、如才なく言葉を続け、こうしてみんなで集まれること自体が明るい兆しに思える、と述べた。
「私たちは今週、来る日も来る日も腰を落ち着けて、自分のものと一致する考えを詳述する人にも、相容れない考えを開陳する人にも耳を傾けることができました。そして、恐ろしい病気にかかることはけっしてなく、伝染したのは、相手のデータと見解に対して真剣に関心を抱く精神だけだったことを願っています」
真の意味での和解に至るのは、まだずっと先のことだった。国立精神保健研究所の家族研究部門の責任者でやはりドラドビーチの会合に参加したデイヴィッド・ライスは、3年後にも依然として、遺伝を支持する人々と環境を支持する人々のことを、「敵対する陣営」と呼ぶことになる。
遺伝する、でも発症しないかも?統合失調症をめぐる“最後の謎”
だがこの膠着状態にはもっともな理由があった。
ローゼンタールが締めくくりの言葉の中で認めたように、解決の糸口がつかめるのにさえ、さらに1世代かかることになる謎が1つ残っていたのだ。
朗報がある、とローゼンタールは言った。
『統合失調症の一族:遺伝か、環境か』 (ロバート・コルカー〈著〉、柴田裕之〈翻訳〉、早川書房)© ダイヤモンド・オンライン
「これまでの年月に提起された合理的疑いがすべて晴れ、遺伝を支持する主張は、説得力のある形で持ちこたえました」。
この会合は、「家族の相互作用の主要な研究者たちが、統合失調症の発現に遺伝が関係していることに、はっきり、公然と同意した折として記憶されうるでしょう」と彼は予言した。
だが、育ちの側からのその歩み寄りは、いっそう不可解な疑問を投げ掛けるだけだった。「最も厳密な意味では、遺伝するのは統合失調症ではありません」とローゼンタールは述べた。
「その遺伝子を持っている人が全員、統合失調症を発症するわけではないことは明らかです」。
統合失調症は確実に遺伝的だったが、必ず遺伝するわけではなかった。だから、誰もが相変わらず首を傾かしげていた。これはいったいどういうわけなのか?
ローゼンタールは言った。
「統合失調症と結びつけられた遺伝子が引き起こす影響の本質を、私たちはまだ突き止められていません」
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