玉木代表はSNSこだわり過ぎ
振り返れば玉木代表、(震災やコロナ禍ですっかり忘れている人もいるだろうが)最初の選挙は2005年の衆院選.
民主党(岡田克也代表・当時)から出て落選。
2009年の選挙で引き続き民主党(鳩山由紀夫代表・当時)から出て初当選。
「消えた年金」問題などによる自民党大敗と民主党政権樹立、崩壊。
玉木代表はその後、維新の会と合流した民進党、そして希望の党(小池百合子代表・当時)と合流して共同代表から同党代表となった。
これに合流しなかった多くが立憲民主党になり、希望の党が発展的に国民民主党と名を変えていまに至るわけだが玉木代表、なかなかに苦労人であることは確かである。
自民党を選べばその能力と人気(とくに地盤の香川2区では絶大)をもってすればここまでの艱難辛苦はあるまい、それを乗り越えての国民民主党ブーム、玉木人気だったはずが、これまた本人曰く「浮かれた」あげくの結果となった。
それにしても玉木代表と国民民主党はこれで離党した山尾氏と「手切れ」となったわけだが、山尾氏は「(国民民主党の)統治能力に深刻な疑問」「党の都合で排除されてしまう政党」と強い口調で批判している。
「辞退会見であれば同席する」
また山尾氏によれば、玉木代表と榛葉賀津也幹事長が会見同席の要請に対して「辞退会見であれば同席する」であったことも明かされた。まさに後ろから撃たれた形の山尾氏だが「国政に再挑戦」「その決意に揺らぎはありません」と政治的に死ぬつもりはないことを宣言している。
山尾氏、自身でも認めるほどにいろいろ問題のある御仁だが能力は玉木代表の〈どうしても必要〉という言葉通りに高い。
東大法学部卒の元検察官で弁護士、国民民主党の憲法調査会長も務めた。
先の国民民主党関係者はこう警戒する。
そもそも声をかけなければよかった、みんなやめとけと言ったのに、本当にそれだけの話なのだ。
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