イーロン・マスク氏が先週末、民主・共和の二大政党と独立した新党を設立すると表明した。
「一つの大きく美しい法案(One Big Beautiful Bill)」と呼ばれる歴史的な大型減税・歳出法案が連邦議会で可決され、それにトランプ大統領が署名した7月4日、つまりアメリカの独立記念日に、マスク氏は自身のX上で第三の政党「アメリカ党」を結成すべきか否かを問う投票を開始した。
翌5日に締め切られた投票では約125万人が回答し、その約65パーセントが新党結成に賛成だった。
これを受けマスク氏は自身のX上で「無駄遣いと汚職によって我が国は破綻の危機に瀕している。それは我々が民主主義ではなく(実質的には)一党支配の国に住んでいるからだ。本日、アメリカ党が結成され貴方の自由を取り戻す(ことを宣言します)」と述べた(ただし、この時点では未だ連邦選挙委員会に対して公式な新党登録手続きを済ませていない)。
財政赤字の拡大やEV補助金の廃止が理由か
これらに先立ち、マスク氏はいずれ巨額の財政赤字を生み出すと見られる(前出の)大型減税・歳出法案を口をきわめて罵っていた。実際、米議会予算局(CBO)の試算では、同法が施行されればアメリカの財政赤字は今後10年間で約3兆4000億ドル(約490兆円)増加する恐れがある。
これに対しトランプ大統領は「イーロンは(同法案によって)電気自動車(EV)への補助金が打ち切られるから怒っているだけだ」と反論した。これを機に、それまで修復しかけていた両者の関係は再び悪化に転じた。
マスク氏は7月3日、自身のX上で「もしも、この常軌を逸した法案が可決されれば、その翌日にはアメリカ党が結成されるだろう。我が国には民主、共和の(実質的な)一党支配とは別の選択肢が必要であり、それによって人々が真に自分の声(意見)を政治に届けられるようにしなければならない」と述べていた。
実際に「アメリカ党」が結成・認可された暁には、上院で2~3議席、下院では8~10議席の確保を目指すという。これだけの議席があれば、「(今回の大型減税・歳出法案のように)僅差で可決される法案に対して(事実上の)決定票を行使できる」と見ているからだ。
こうしたマスク氏の主張や戦略はある意味で筋が通っているし、(改めて言うまでもなく)彼にはお金も知名度もある。世界一の大富豪とされるマスク氏の個人資産は推定3500億ドル(50兆円)以上、Xのフォロワー数は2億2000万人以上に達する。
マスク氏の新党結成についてトランプ大統領は「そんなことをしたら混乱を招くだけだ。彼が楽しむのは勝手だが、私は馬鹿げていると思う」と反応した。
正式に新党と認めてもらうだけでも大変
が、マスク氏ほどの経済・社会的パワーの持ち主でも、ことアメリカで政党を結成するとなると一筋縄ではいかない。多数の政党が乱立する日本やイタリアなどとは対照的に、アメリカでは二大政党に対抗する新党を設立・定着させるのが制度的に難しいからだ。
中でも州によって異なる立候補規定が最大の障壁となっている。つまり「候補者名簿に載るためのルール(ballot access rule)」が州ごとにバラバラなのだ。
たとえば、そのルールが比較的厳しいカリフォルニア州では、新党が選挙の候補者名簿に載るためには予め有権者全体の0.33パーセント、人数にして7万5000人以上が党員登録するか、あるいは110万人以上の有権者の署名を当局に提出する必要がある。また、こうした有権者の署名に対して、その有効性を否定する訴訟が二大政党から起こされる恐れもある
さらに政党として認可された後も、それを維持するには(上記)0.33パーセント以上の登録者数を継続して確保し、州全体の選挙で有権者の2パーセント以上の得票を獲得し続ける必要がある。
仮にここまで厳しくなくても、これと同様の異なる規定を全50州(とまではいかないまでも大多数の州)でクリアしない限り、全米レベルで実質的な政党として機能することができない。つまりアメリカで新党を設立・維持するのは事実上極めて困難だ。
実際、過去のケースを見ても、その難しさが分かる。1971年にコロラド州で設立された「リバタリアン党」、あるいは2001年に複数の州における政治運動を統合して確立された「緑の党」などは今でも確かに存在しているが、知名度や議席獲得の面では二大政党と桁違いの格差があり、政治的・実質的な影響力はほぼ無きに等しい(両党とも現時点で州や市町村などの議会には少数の議席を有するが、上下両院の連邦議会には議席を持たない)。
新党を立ち上げてもマスク氏の個人資産が十分活用できない
もちろんマスク氏ほどの資金と影響力の持ち主であれば、新党を立ち上げるのは決して無理な事ではないが容易ではない。
アメリカの政治専門家は、たとえマスク氏でも全米規模の政党を立ち上げるには最低数年はかかると見ている。つまり(マスク氏が恐らく影響力を行使したいと考えている直近の選挙となる)来年11月の中間選挙に間に合わせるのはちょっと難しそうだ。また政党立ち上げに必要な費用も、最低数億ドル(数百億円)はかかると見ている。
もっとも、マスク氏は(前述の通り)個人資産が3500億ドル(50兆円以上)に達し、昨年11月のアメリカ総選挙でもトランプ氏をはじめ共和党候補に(マスク氏自身が設立した「America PAC」と呼ばれる政治支援団体を通じて)約3億ドル(約450億円)を献金するなど資金面では事欠かない。
ただ、いったん政党を立ち上げてしまうと、今度はそれへの寄付金に対する規制がかかってしまう。つまりAmerica PACのように非政党団体に対しては献金額に上限はないが、(アメリカ党のような)政党に対して(マスク氏のような)個人が寄付できる金額は州レベルで1万ドル(約140万円)、全米レベルでは約4万4000ドル(約640万円)という上限が課せられている。
つまりマスク氏の最大の武器となる潤沢な資金が、こと政党となると存分に効果を発揮できないことになる。一方(前述の)America PACのような政治支援団体であれば、それが特定の候補者や政党から(少なくとも表向きには)独立して活動する限り、それに対する献金額に上限はない。
つまり合理的に考えれば、マスク氏があえて新党を設立するよりも、むしろAmerica PACのような支援団体を通じて政治家への影響力を蓄え、いざ僅差の法案に際して(マスク氏が想定している)上院で2~3議席(票)、下院で8~10議席の切り崩しを狙う方が得策かもしれない。
政治よりも本業のビジネスが危うくなってきた
そもそも今のマスク氏に、政治に現(うつつ)を抜かす余裕はないはずだ。同氏がCEOを務めるテスラの今年第2四半期の決算は芳しくない。世界市場における同社製EVの販売(納車)台数は約38万4000台、前年同期比で約13.5パーセントも減少している。
テスラは昨年(2024年)、10年ぶりとなる世界全体での売上減を記録した。その減少幅は前年比で1パーセント減と僅かだったが、今年に入ると直近では(上記の)前年同期比13.5パーセント減と売上低下に拍車がかかっている。特に欧州市場では前年同期比で28パーセント減、アメリカ市場では同21パーセント減とかなり深刻だ。
結果、同社のEV工場の稼働率は約70パーセントと製造設備が相当遊んでいる。特にSUV「Model X」と高級セダン「Model S」の製造台数は1万3000台余りに止まり、これらの製造設備がフル稼働した場合の約24パーセントにまで落ち込んでいる。工場におけるロボットなどの自動化設備は稼働していなくても維持費がかかるので、テスラの収益に大きな負担となってしまう。
このように足元の業績が悪化する中で、テスラの株式時価総額は現在約9400億ドル(約136兆円)を維持している。同社の株価は今年に入って約20パーセント下げているが、それでも同社の現在の実力(売上などの業績)を大幅に上回る市場評価額と見られている。
EVメーカーからAI開発企業への転身をはかる
こうした投資家による高い期待を支えているのが、最近のマスク氏が盛んに売り込んでいる未来へのビジョンだ。具体的には「これからのテスラは単なるEVメーカーではなく、むしろ自動運転やロボタクシー、あるいは自律型のヒューマノイド(人型ロボット)など高度なAI開発企業になる」という計画である。
それを裏付けるべくテスラは先月22日、満を持してテキサス州オースティンで(自動運転用のAIを搭載した)ロボタクシーの有料サービスを開始した。ただ、これは多くの自動車業界アナリストには期待外れのデビューとなった。
と言うのも、このロボタクシーは本来なら(乗客以外に)完全無人の自動運転となるべきところを、(万一の事故やトラブルなどに備えて)運転席に安全監視員(事実上の予備ドライバー)が待機する形でのサービス開始となったからだ。
既に自動運転で先を行く(アルファベット=グーグル傘下の)Waymoはサンフランシスコやロサンゼルスなど4つの主要都市で完全無人運転のロボタクシー事業を実用化させており、今後サービス地域を日本など海外にも拡大させるほどの勢いだ。こうしたWaymoに比べれば、テスラのロボタクシーは明らかにその後塵を拝している。
しかもWaymoの自動運転技術は車載のカメラやミリ波レーダー、さらにはライダー(レーザーレーダー)や超音波センサーなど多彩なセンシング技術に基づいているのに対し、テスラのそれは(コスト重視の面から)車載カメラだけに頼っている。このため、その安全性に疑問符が投げかけられている。
実際、テキサス州で先月22日に始まったばかりのテスラのロボタクシー・サービスでは、これまでにその車両がスピード違反をしたり、理由もなく急ブレーキをかけたり、突如対向車線に突入していく様子などがユーザーによって撮影され、動画サイトなどに投稿されている。
これについてマスク氏は「(今後、ロボタクシーが)走行距離を延ばす間に状況は改善されていくだろう」と述べている。
世間はマスク氏に何を期待しているか
もっともマスク氏について書かれた伝記などを読むと、同氏は単にエネルギッシュでワーカホリックな経営者というより、実は物理学や機械工学にも造詣が深い優れたエンジニアでもあることが伺える。そんな彼が「車載カメラだけでも大丈夫」と言うのだから、その意見にも一理あるだろう。
が、こと自動運転技術に関しては、Waymoつまりグーグルの方がテスラより遥かに前から、その研究開発を進めてきた。つまり、この分野においてはグーグルの方に一日の長があることは間違いない。
グーグルの考え方に従えば、ロボタクシーなど現在の自動運転に使われている(前出の)ライダーなど多彩なセンサー類の中には、確かに一個数千ドル(数十万円)と高額な部品も少なくない。が、それらの価格は近年急速に下がっており、いずれこれらを多数車体に搭載しても開発コストは十分ペイできるようになる。多少楽観的かもしれないが、今から1、2年のうちにはロボタクシーなどの事業は十分黒字化できると見ているようだ。
もちろん、テスラがそうしたグーグルの考え方や方式に今後追従するかどうかは誰にも分からない。が、少なくとも経営者のマスク氏が開発の現場レベルまで降り立って、その種の高度な判断を迫られていることは間違いなさそうだ。
今年5月末にマスク氏がトランプ政権の「DOGE(政府効率化省)」を辞職して、「これからはビジネスに注力する」と(する旨を)宣言したとき、株式市場は概ねこれを好感した。つまり「CEOがテスラの経営に集中する」との期待から、同社の株価は一時的に3~5パーセント上昇したのである。
本来、これこそ今のマスク氏が選ぶべき道かもしれないが、ここに来ての「新党設立」表明はそんな周囲の期待に冷水を浴びせる形となった。ときに激しい山あり谷ありの道とは言え、基本的にビジネスの世界では「向かうところ敵無し」の強さを発揮してきたマスク氏だけに、逆に成功を極めた今となってはそんなビジネスに飽きてしまった、という可能性もあるのだろうか?
もちろん天才の頭の中は天才本人にしか分からないが、マスク氏に対する周囲からの圧力が高まっていることは間違いない。
トランプ大統領の側近ベッセント財務長官は今月6日、アメリカの報道番組に出演して「(テスラやスペースXなど)マスク氏が経営する会社の取締役会は今後、彼に政治活動ではなくビジネスに集中するよう促してくるだろう」と予想している。
実際、そうした動きは既に始まっているようだ。今後注目すべきは、マスク氏が周囲からの圧力をはねのけて、正式に新党設立の手続きを済ませるかどうかだろう。
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