プーチンが描く 大ロシア=帝政ロシア(小ロシア 白ロシア)

ロシアによるウクライナ侵攻、世界的な移民排斥運動、権威主義的国家の台頭、トランプ2.0、そして民主主義制度基盤の崩壊……。

「なぜ世界はここまで急に揺らぎはじめたのか?」。

講談社現代新書の新刊、『新書 世界現代史 なぜ「力こそ正義」はよみがえったのか』(川北省吾 著)では、共同通信社の国際ジャーナリストが、混迷する国際政治の謎を解き明かすために、国際政治学者や評論家、政治家や現場を知る実務家へのインタビューを敢行。辿り着いた答とは?

本記事では、〈「ウクライナは国ですらない」というプーチンの言葉は、どのような世界観に由来しているのか?…プーチンを突き動かす「信念」〉に引き続き、プーチンが抱く「大ロシア再興」の野望とその思想的背景について詳しく見ていく。

※本記事は、川北省吾『新書 世界現代史 なぜ「力こそ正義」はよみがえったのか』より抜粋・編集したものです。

ウクライナは「小ロシア」

プーチンの制限主権論は、ソ連的であると同時に帝国的でもある。ウクライナ史の世界的権威で、ハーバード大学ウクライナ研究所の所長を務めたセルヒー・プロヒーによると、ロシアは帝政期、ウクライナを「小ロシア」と呼んでいた。

プロヒーは、それを表す格好の絵を示す。3人姉妹を描いたとされる帝政期の作品だ。真ん中にロシアの伝統衣装をまとった女性が立ち、その妹とされる女性が左右に1人ずつ付き添っている。

「妹のうちの1人は『小ロシア』と呼ばれていたウクライナだ。もう1人は『白ロシア』と呼ばれるベラルーシを象徴している。帝政期、それがロシア民族のイメージだった。一見、仲むつまじい感じに見えるが、見落としてはならない点がある。真ん中の女性だけが剣を持っていることだ」

真ん中の女性は右手に剣、左手に十字架を掲げている。この女性こそ「ロシアの化身だ」という。武器(軍事)と十字架(正教)を携え、ウクライナとベラルーシを従える。それが「プーチンの心に宿る原風景なのだ」と説いた。

プロヒーは言う。「プーチンにとって、ウクライナは独立国家ではなく、ロシアの一部に過ぎない。妹が姉に逆らい、住み慣れた家を出て西方(欧米=NATO)へ向かおうとしたとき、剣を持って立ちはだかった」

だが、事は必ずしも単純ではない。「帝国への志向はクレムリン(ロシア大統領府)を超えて存在している」(プロヒー)からだ。「ロシアでは長らく、権威主義以外の政体が機能したためしがない」とプロヒーは嘆息する。

1917年の革命で帝政が倒れた後、ソ連という帝国が現れた。その崩壊後、つかの間の民主化を経て、再びプーチン「独裁」に回帰する。多くのロシア人は「21世紀になっても、ウクライナを『小ロシア』と見なす『帝国の病』に冒されている」という。

プーチンは2021年7月、「ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性について」と題する論文を著した。両者は「一つの民族で一体」と明記し、ベラルーシ人と共に「3者は古代ルーシ(キエフ・ルーシ)の末裔」と主張した。

この7ヵ月後、プーチンはウクライナへの全面侵攻を命じた。このため、3者による「スラブ連合」の形成が究極の野望と指摘されることもある。ソ連時代のように、東欧全体を勢力圏に組み入れるのは非現実的だからだ。

大ロシア再興の野望

こうした「スラブ連合」構想を最初に唱えた一人が作家のアレクサンドル・ソルジェニーツィン(08年没)だ。スターリン独裁の下、強制収容所の実態を告発した『収容所群島』や『イワン・デニーソヴィチの一日』でノーベル文学賞を受賞した。

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はソ連崩壊に伴い、膨大な数の同胞(ロシア人)がウクライナやベラルーシ、カザフスタンに取り残され「一夜にして異邦人となった」と嘆く。4者の統合による「一つの連邦国家」形成を唱えた。(注6)アレクサンドル・ソルジェニーツィン photo by gettyimages

アレクサンドル・ソルジェニーツィン photo by gettyimages© 現代ビジネス

彼の言葉はプーチンの琴線に触れる。プーチン自身、大量のロシア人が「異邦人」と化したことを憂い、そうした事態を招いたソ連崩壊を「20世紀最大の地政学的悲劇」と考えるようになっていたからだ。

2人は親交を結び、プーチンは07年6月、ソルジェニーツィンにロシア国家賞を贈る。ミュンヘン安全保障会議で激烈な対米批判を展開した4ヵ月後のことである。「大ロシア再興」の野望が胎動し始めたのだ。

プーチンはロシア帝国の初代皇帝ピョートル1世に自らを重ね合わせる。西洋に憧れ、そして憎んだ大帝と同じように、覇者アメリカに手を差し伸べ、袖にされ、次第に遺恨を募らせてゆく。

14年3月にウクライナ南部のクリミア半島を併合した1週間後、アメリカ大統領のバラク・オバマは「ロシアは近隣諸国を脅かしている地域大国」と一蹴した。「世界の大国」を自負していたプーチンは「無礼千万」と激怒する。

8年後のウクライナ侵攻に至る序曲は、この時から始まったとみることも可能だろう。復讐心に突き動かされたプーチンの「リバンチズム(報復的失地回復)」は、反米共闘の友を求め始める。

現れたのが、ロシアと同じ遺恨を秘めた中華の「皇帝」習近平だった。

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