ドンバス割譲

ジョエル・ガンター(キーウ)

アメリカのアラスカ州で15日、ドナルド・トランプ米大統領とロシアのウラジーミル・プーチン大統領が会談した。この数日前、トランプ氏は和平の条件として「領土交換」なるものに言及した。

ウクライナ人にとって、それは混乱を招く言い回しだった。「交換」されるのはどの土地なのか? ロシアが武力で奪ったウクライナの土地と引き換えに、ウクライナにはロシアの一部が与えられるのか? そうした疑問が浮上した。

ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領が、18日のトランプ氏との会談に向けてワシントンへ移動する中、今のトランプ氏の考えには「交換」の要素は含まれていないようだ。

その代わりに、ウクライナ東部のドネツク州とルハンスク州全域をロシアに明け渡すよう、トランプ氏はゼレンスキー氏に圧力をかけるつもりだと報じられている。その見返りとして、ロシアは残りの前線を凍結することになると。これは、アラスカでの会談でプーチン氏が提案した条件だ。

ルハンスク州はすでに、ほぼ全域がロシアの支配下にある。一方でドネツク州では、いくつかの主要都市と要塞を含む約30%の地域をウクライナが支配している。ウクライナは数万人の命を犠牲にして、これらの地域を維持している。

ドンバス割譲は「悲劇」

ドンバス地方を構成するルハンスク、ドネツク両州は、鉱物資源が豊富な工業地帯だ。その2州をロシアに今明け渡すのは「悲劇」だと、ウクライナの歴史学者ヤロスラフ・フリツァク氏は指摘する。

「そこはウクライナの領土だ」とフリツァク氏は言う。「この地域の人々、特に鉱山労働者は、ウクライナのアイデンティティ強化に大きな役割を果たしてきた」。

また、ドンバス地方は「著名な政治家や詩人、反体制派」も輩出してきた地域で、「そこがロシア領になってしまったら、避難した人たちは故郷に戻れなくなる」とフリツァク氏は話した。

2014年にロシアの侵略行為が始まって以来、少なくとも150万人のウクライナ人がドンバス地方から避難している。ロシアの占領下で暮らす人は300万人を超えると推定され、
さらに推定30万人が、ウクライナが今も支配する地域に残っている

前線に最も近い地域では、すでに生活は危険な苦難の連続だ。ロシアの猛攻を浴びたスラヴャンスク市在住の従軍聖職者アンドリー・ボリロ氏(55)は、週末に自宅のすぐそばに砲弾が着弾したと電話インタビューで話した。

「ここの状況はとても厳しい」と、ボリロ氏は述べた。「諦めと、自分たちは見捨てられたという感覚が広まっている。私たちに耐える力がどれほど残っているのか分かりらない。誰かに守ってもらわないと。でも、誰が?」

ボリロ氏は、アラスカからのニュースを追っていたという。「これはゼレンスキーではなく、トランプのせいだと思っている。彼らは私からすべてを奪っていく。これは裏切りだ」。

ゼレンスキー氏は一貫して、和平のためにドンバスを割譲することはないと主張している。そして、ロシアが和平合意を守ると信じる人はきわめて少ない。ロシアはむしろ、一方的に併合した土地を足がかりにして、ウクライナの残りの地域に攻撃を仕掛けるはずだと思われている。

こうした理由などから、キーウ国際社会学研究所の世論調査によると、ウクライナ国民の約75%はロシアへの正式な領土割譲に反対している。

「領土か人命か」

しかし、ウクライナもまた、戦争でひどく疲弊している。ロシアによる全面侵攻が始まって以降、数十万人の兵士と民間人が死傷している。とりわけドンバス地方では、この苦難の終わりを切望する声が強い。

「ドネツク州の割譲についてあなたは質問しているが、私はこの戦争をキロメートルではなく人命ではかっている」と、クラマトルスク市の救急隊員イェウヘン・トカチョフ氏(56)は述べた。

「私には、数千平方キロメートルの土地のために数万人の命を差し出す用意はない」と、トカチョフ氏は述べた。「領土よりも命の方が重要だ」。

一部の人にとっては、最終的には「土地か命か」という選択になる。ウクライナ国会議員で野党「欧州連帯」所属のウォロディミル・アリエフ氏は、ゼレンスキー大統領は、「よい選択肢がひとつもない岐路に立たされている」と指摘する。

「戦争をいつまでも続けられるほどの戦力は、私たちにはない」、「しかし、ゼレンスキーがこの土地を明け渡せば、それは憲法が破綻するだけでなく、国家への反逆になり得る」と、アリエフ議員は述べた。

「領土割譲」、プロセスは不明確

ウクライナでは、こうした合意がどのような仕組みで成立するのか、そもそも成立するのか、はっきりしない。正式な領土割譲には、議会の承認と国民投票が必要とされている。

正式な承認なしに、支配権を事実上放棄するかたちの方があり得ると思われる。しかしその場合でも、そのプロセスは十分に理解されていないと、ウクライナ国会議員のインナ・ソヴスン氏は指摘する。

「どういう手順を踏むべきか、真に理解している人は誰もいない」と、ソヴスン議員は言う。「大統領が合意に署名するだけでいいのか? 政府か署名すべきなのか? それとも議会なのか? 法的な手続が確立されていないのが現状だ。憲法の起草者たちは、こんな事態を想定していなかったので」。

ゼレンスキー氏が18日にワシントンでトランプ氏と会談すれば、事態はより明確になるかもしれない。ゼレンスキー氏がホワイトハウスを訪れるのは、2月末にトランプ氏らと外交姿勢などをめぐって激しく口論して以来となる。アラスカでの会談結果は不満が残るものだった。それでも、ウクライナにとってわずかながら希望が持てる知らせもあった。

トランプ氏はプーチン氏との会談後、ウクライナへの安全保障の保証に関する立場を転換したようだった。そして、将来的なロシアの攻撃からウクライナを守るために、欧州と共に軍事的保護をウクライナに提供する用意があることをほのめかした。

「安全保障の保証」が極めて重要

ウクライナ国民にとっては、領土問題などを含むいかなる合意においても、安全保障の保証は極めて重要な要素であることが、世論調査で示されている。

「ウクライナ国民は、さまざまなかたちの安全保障の保証を受け入れる」と、キーウ国際社会学研究所のアントン・グルシェツキー所長は言う。ウクライナ国民には、安全保障の保証が「必要だから」だと。

前出の、クラマトルスク市の救急隊員トカチョフ氏は、「単なる書面上の約束ではなく、実際の保証」がある場合にのみ、「領土交換」は検討可能になると話す。

「そうなった場合にのみ、多かれ少なかれ、ドンバスをロシアへ明け渡すことに、私は賛成する」、「イギリス海軍がオデッサ港に駐留するのなら、私は(ドンバス割譲に)同意する」と、トカショフ氏は述べた。

和平へのさまざまな道筋が模索され、トランプ氏が好む取引型の交渉スタイルが時折展開される中、この戦争に実際に巻き込まれている人々の存在が忘れ去られてしまう恐れがある。すでに10年にわたり戦闘を生き抜いてきた彼らは、平和と引き換えにさらに多くのものを失うかもしれない。

ドンバスはあらゆる職業や地位や立場のウクライナ人であふれる場所だったと、ウクライナの歴史学者ヴィタリー・ドリブニツィア氏は説明する。「ただ単に、文化や政治、人口統計の話をしているわけではない。人間の話をしている」。

ドネツクは、オデーサのように文化的な活動で評価されてきた場所ではないかもしれない。それでもあそこはウクライナなのだと、ドリブニツィア氏は述べた。「ウクライナのどんな片隅であっても、文化的に重要かどうかに関係なく、そこはウクライナだ」。

(追加取材:ダリア・ミティウク)

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