ニューズウィーク日本版
カークの「憎悪にはうんざりだった」と述べていたロビンソン UTAH STATE COURTS-HANDOUT-REUTERS
<アメリカでは「ファクト」は二の次になってしまった──事件後の政権の行動の裏に見える思惑とは?>
トランプ米大統領とも極めて近い関係にあった右派政治活動家のチャーリー・カークが暗殺された事件に関する「ファクト(事実)」は明白だ。
9月10日、カークがユタ州の大学で質疑応答中、ライフルの銃弾がその首を貫いた。恐怖で凍り付く3000人の聴衆の眼前で、カークは大量に出血しながら椅子から崩れ落ちた。
その33時間後、警察はタイラー・ロビンソンという22歳の男性を容疑者として逮捕した。動機についてロビンソンは恋人へのメッセージでこう述べている。「あいつ(カーク)の憎悪にはうんざりだった。ああいう憎しみは、話し合いじゃ解決できない」
ョッキングな暗殺事件は、人々の強い感情をあおり、社会の安定を揺るがす。その点はいかなる社会環境でも言えることだが、トランプが君臨する「ポスト・トゥルース(真実)」のアメリカの際立った特徴は、「ファクト」が二の次になっていることだ。
そして政治の世界で最も大きな意味を持つ「ファクト」は、誰がナラティブをコントロールするのか、という点にある。
捜査当局がカークの死亡を発表した5時間後、つまりロビンソンが逮捕される1日前の段階で、まだ事実関係が明らかになっていないにもかかわらず、トランプはビデオ演説を行い、「極左」の言説が「今わが国で起きているテロ行為の直接的原因になっている」と非難した。
数日後には、バンス副大統領が「左派は政治的暴力を擁護し称賛する傾向がはるかに強い」と述べた。
このような発言は全く事実に反する。2001年以降にアメリカ国内で起きたテロによる死者の75~80%は、右派の過激派によるものだ。左派の過激派による政治的暴力の件数は全体の10 ~15%、全ての死者に占める割合は5%に満たない。
一方で忘れてはならないのは、21年1月にはトランプ支持派が連邦議会議事堂を襲撃し、大統領選挙の結果を覆そうとしたことだ(トランプはこの事件で起訴された支持者約1600人に恩赦を与えた)。
しかし、今回の暗殺事件について、そして社会と政治の緊張が生まれている要因について、ホワイトハウスが広めようとしている見解に異を唱えるのは、今日のアメリカでは勇気が要る。
ホワイトハウスと右派の活動家たちは事件後直ちに、対立勢力を抑圧し、トランプと右派の政策への異論を封じ込めるために、暗殺事件を利用しようと考えたようだ。
テレビの人気トーク番組の司会者であるジミー・キンメルは、この事件に関して述べたジョークを理由に、番組の放送を停止された(言論の自由を守ろうとする左右両派の人々の激しい反発により、程なく番組の放映は再開された)。
キンメルだけではない。カークのシンパにとって受け入れ難く感じられる発言をした多くの大学教員や公職者たちが職を追われ、非難を浴びている。
カーク暗殺事件の結果として、誰もが許せない行為だと非難しているはずの政治的暴力が増える可能性が高まってしまった。楽観的に考えれば、いまアメリカの社会では、一時的に全体主義的な熱狂が高まっているだけなのかもしれない。
この国の歴史を振り返れば、そのような時期がこれまでも時折あった。
しかし、私が恐れているのは、カークが暗殺されて以降の2週間ほどの間に、アメリカがまたいっそう権威主義体制に近づいたという可能性だ。
現在のアメリカの指導者たちがおぞましい事件を利用して政治的な対立勢力を攻撃し、悪者として仕立て上げ、憎悪の標的にしようとしていることの意味はあまりに大きい。
コメント