「アイアンマン」のモデルとされた頃のマスク
2008年に公開され大ヒットした映画『アイアンマン』の主人公は巨大軍事企業の経営者トニー・スタークで、スペースXとテスラで世界を変えつつあった若き起業家マスクがそのモデルだとされた(映画の制作スタッフが見学に来たスペースXの工場には、アイアンマンの巨大なオブジェが飾られた)。
当時のマスクは民主党を支持するリベラルで、オバマ大統領のファンだった。
トランプ政権との距離とその後の変化
2016年にトランプが大統領に当選したときは、“逆張り”でトランプを支持し、新政権の立ち上げに大きな影響力をもったピーター・ティールに誘われて大統領諮問委員会に加わったが、気候変動に関する国際的な枠組みであるパリ協定からの脱退に落胆して政権から距離を置いた。
ところがその後のバイデン政権で、マスクの言動は政治的に過激化していく。
その理由はさまざまだろうが、ひと言でいえば、SNSで「リベラル」や「左派(レフト)」から攻撃されたことだろう(マスクが「Woke=社会正義に意識高い系」を攻撃したからともいえる)。
“愛されキャラ”からの転落
だがそれでも、ツイッター買収を発表するまでは、マスクはおかしなことを考えている(なんといっても人類を火星に移住させようとしてるのだ)大富豪で、不愉快な発言をするものの愛嬌のある陽気なアメリカンドリームの体現者、というものだった。
だが2022年10月、マスクがツイッターを買収して「私物化」し、大量の人員解雇を始めると、アメリカ社会(とりわけリベラルな東部や西海岸)でその評価が大きく変わった。
メズリックは本書で、その2か月後に起きた象徴的な場面を3つ紹介している。
事件① ブーイングの嵐
1つめは12月11日に、サンフランシスコで行なわれたコメディアンのイベントにマスクがゲスト出演したときのことだ。
「ご来場のみなさま、世界一のお金持ちをご紹介いたします!」とうながされてステージに上がったマスクは、歓声で迎えられるはずだったのに、ブーイングの嵐を浴びることになった。
事件② 記者のアカウント凍結
2つ目はその2日後の13日で、マスクの子どもが乗った車が正体不明の男に追跡された。
これを機にマスクは自分のプライベートジェットの位置情報をリアルタイムで記録するユーザーのアカウントを凍結したが、これを報じたニューヨーク・タイムズのジャーナリストやCNNなどの記者のアカウントも次々と凍結されることになった(問題のウェブサイトにリンクを張ったアカウントをすべて凍結したのだ)。
「言論の自由の原理主義者」であるマスクのこの矛盾した判断は、リベラルメディアだけでなく米国自由人権協会や国連のグローバル・コミュニケーション担当事務次長、これまで好意的だったジャーナリストからも批判された。
追いつめられたマスクはアンケートを実施し、その結果に従ってすべての凍結を解除した。
「この事件で、マスクのなかでなにかが変わった」とメズリックは書く。
これまで「世の中は、基本的に、自分の味方だと思っていた」にもかかわらず、世界は自分に敵対しているかのようなのだ。
事件③ CEO失格のアンケート
決定的な3つ目の事件は、12月18日にカタールで行なわれたサッカー・ワールドカップ決勝のあとで起きた。
1億2000万人のフォロワーに向けたツイートが何千万回も閲覧されたことに気を良くしたマスクは、帰りのプライベートジェットのなかで、「ツイッターのトップから退くべきだろうか? アンケート結果には従うつもりだ」と投稿した。
この投稿は3億6300万人に閲覧され、1750万人が投票し、57%が「イエス」を選んだ。マスクはCEOとして失格の烙印を押されたのだ。
孤独と悲しみの深淵
カタールから本社に戻ったマスクはそのまま10階の会議室にこもり、すべての面会者をボディガードが追い返し、何時間もこもって出てこなくなった。
社内では、サンフランシスコ警察にマスクの安否確認を依頼すべきか議論された。マスクがすべてのつながりを切ってしまったので、警察に連絡する以外、確認する手立てを思いつけなかったのだ。
マスクはこのとき、暗い会議室でスマホのタイムラインを凝視しながら、「世界」は自分の敵であると確信したのではないだろうか。
買収後のツイッターでマスクと近しかった女性社員は、解雇されたあと、メズリックにこう語った。
あんなにお金があって、あんなに力を持っていて、あんなに賢くて、あんなに夢があって(しかも、ぜんぶ、すばらしい志の夢で)、あんなになんでも持っていて、それでもなお――

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